2024/08/26
こちらの地図!みなさんご覧になったことありますか?
こちら、児島富士🗻 常山城跡公園 十二州望の地図です。
☆☆☆勤労奉仕で、大野幸太郎さんの先達で螺旋道の道ができたそうですよ☆☆☆
この地図を見ても分かるように常山周辺は、海でした🐟🐟🐟。
この海では魚・貝類が獲れていたそうです。
地図中央に見える螺旋道の道には歩いて上がる道と車や人力車が通る山道とがあったそうですよ。
螺旋道は山頂に登るまで道が、急で造られたようです☆
この地図では見にくいですが、二合目辺りでテニスをする風景も見られます。大正時代にテニス!?と思う方もいらっしゃると思いますが、実はテニスが日本に伝わったのは、1913年(大正2年)に軟式テニスが一般の人たちに広まるきっかけになったそうですよ~🎾
常山には有林堂を過ぎて2合目より少し過ぎた辺りに今もテニスコートがあります。もちろん利用することもできます🎾
学校がお休みに日には子供達がテニスをする風景は今も変わらないみたいです♪♪♪
やっぱり地図に載っている季節も桜の季節ですね🌸この時代から桜が綺麗に咲いていたのが分かります🌸
そして頂上に着くと、常山城跡公園があったようですね~。
地域の方からの情報によると・・・。
今から80年前、子供時分だった頃に、常山城跡公園頂上付近に、お賽銭箱があったようで、その周りに1銭・・2銭・・・と小銭が落ちていて、子供たちはそのお金を拾って、自分の、お小遣いにしていたという説があったようです・・・。
道ができて進駐軍(軍隊)の人達がやってきて、常山へ上がっていく人にガムを配っていたそうです。当時日本人にはガムなどない時代でした。
🚃電車が通っているのが見えますか🚃
現在でいうとこの辺り、常山駅ですが、昔は存在せず、迫川駅で乗り降りし迫川駅という名前ではなく、由加駅という駅名だった事が判明しました☆
多くの人達が力を合わせて作った常山城跡公園。
☆そのほとんどが勤労奉仕で行われていたということが分かり、いかに大勢の人が力を合わせて作られたかが分かりました☆
勤労奉仕とは・・・。公共的な目的の為に、無報酬で勤労を持って奉仕活動をすること。