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玉野市の歴史🏰

time 2016/05/06

玉野市の歴史🏰

女軍の哀話が伝わる城

常山城跡🗻 【玉野市宇藤木ほか、岡山市南区迫川】市史跡

児島湾に面する標高307mの常山山頂に築かれた連郭式の山城で、遠く岡山平野を望むことができます。本丸が設けられた山頂から二方へ派生した尾根に、青木丸、栂尾丸、矢竹の丸、惣門丸といった曲輪を配しており、一部に石垣が見られます。天正3年(1575年)の落城に際して、女性たちの奮戦が伝えられます。

本丸の石垣

↑ 本丸の石垣

縄張り

↑ 縄張り

八浜合戦の宇喜多方陣地

両子山城跡(八浜城跡) 【玉野市八浜町八浜】

八浜の港を見下ろす標高53mの丘陵上に築かれた山城で、南と北の峰に曲輪や横堀、宇根上畝状 堀を巧みに配置して守りを固めています。天正10年(1582年)の八浜合戦では、宇喜多忠家、元家が布陣し、麦飯山城に拠る毛利方と対峙しました。

大規模な横堀

↑ 大規模な横堀

八浜合戦の毛利方陣地

麦飯山城跡 【玉野市槌ケ原・八浜町大崎】

常山城跡の東2.3㎞にある標高232mの山上に築かれた連 式山城で、東西に並ぶ二つの峰の間に複数の曲輪を配し、その両端を堀切で遮断しています。天正10年(1582年)には毛利方の穂田元清が布陣し、両児山城に籠る宇喜多勢との間で激しい戦いを繰り広げました。

岩盤を彫りぬいた堀切

↑岩盤を掘りぬいた堀切

八浜合戦関連図

↑八浜合戦関連図(玉野市、岡山市南区、倉敷市)

 

三村氏×毛利氏

天正3年(1575年)の常山合戦は、毛利氏が織田方に与した三村氏を滅ぼした備中兵乱の最後となる戦いで、常山城主の上野隆徳(三村元親の義親)は毛利氏に敗れて自刀しました。

宇喜多氏×毛利氏(小早川氏)

天正8年(1580年)の辛川合戦は、毛利氏から離反した宇喜多勢が、小早川隆景(毛利元就の三男)の侵攻を辛川口(岡山市北区)で阻止した戦いです。

宇喜多氏×毛利氏

天正10年(1582年)の八浜合戦は、児島に進出した穂田元清(毛利元就の四男)と、これを阻止しようとした宇喜多元家(直家の甥)が大崎(玉野市)で衝突したもので、元家は戦死しました。

【発行・編集】岡山県古代吉備文化財センター

※再発見!ふるさとの山城 岡山県中世城館跡総合調査 攻略!おかやまの中世城館 第二巻(備前国西部編)より画像引用・転載。

http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/kodaik.htm

※ホームページで岡山県中世城館跡総合調査の様子を公開中!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ダガジク和尚

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常山の住人。ダガジク和尚と愛犬ロドリゲスが、常山の地域情報配信と仏事のことをご紹介!